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知ってる?? 知らない?? 文顕進会長の文書動画と講話文

シリーズ”統一運動の堕落”パシセラ氏寄稿 3

https://align-with-god.org/blog/archives/2138


叱責される時と愛される時


今は、多くの教会員が、信仰をあきらめたり、卒業したくなったりする時です。私は2001年の頃から5、6年、この問題に一人で立ち向かった時期があります。それは実に大変な時期でした。


神様への忠誠心や孝行心のゆえに、神様の名を呼べば、涙が出る絆は生きているでしょうか?その絆の存在をあきらめていないでしょうか?


たとえ感じるのが難しくなっていたとしても、そのような神様との絆は存在します。それは、人間が神様の子女として意図されているからです。少し固い表現をすれば、個性真理体であり、人権と自由を持っている存在です。皆さん、愛されることを求めているでしょう?


多くの教会員は、文顯進会長のブラジル6分ビデオを見てショックを受け、文顯進会長に対して心を閉しました。それは、「自分達は神様の前に尊い存在だ」という信念を脅かす人として目に映ったのが大きな要因でしょう。そのような人として描きたいと願った統一教会幹部の狙いに、引っかかったということでもあります。


私の場合は、そのビデオの中で叱責を受けたリーダーが、とてもプライドが高いものの、以前は文顯進会長に認められて喜んでいた人だったので、その人の豹変ぶりに呆れました。


私は、2003年頃だったか、ある時、文顯進会長にばったり会い、何も言わずに突然肩を抱きしめられたことがあります。90年代に、文顯進会長が御長男の肩を抱きながら、将来を語りあうかのような姿を見たことがありますが、肩を抱きしめられた時は、ご家族の姿が思い出されるような時でした。他人に対しても、そのように愛するということですし、愛されるのも叱られるのも理由があります。


前回、金明大氏の説教に関して書きましたが、金明大氏は天から叱責を受けるべき人でしょうか、それとも、肩を抱きしめられる人でしょうか?間違ったことをして叱責を受ける人でしょうか?あの、金明大氏の説教は、金明大氏だけの問題ではありません。信徒の霊的生命に責任がある幹部全体の問題です。そのような幹部が、叱責されるべきでしょうか、そうではないのでしょうか?どんな時に抱きしめられ、どんな時に叱責されるべきなのでしょうか?


(一部編集あり)

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