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統一教会二世の恋愛と結婚 ~【前編】3

成長期の異性関係 ー 異性とは口を利いてもいけない?


十代の望まない妊娠や中絶、性感染症の問題等を鑑みるとき、「未成熟期における男女関係(=性関係)は控えよう」という話は、極めて健全な話かと思います。


ただ、「異性交際そのものを控える」のは行き過ぎ…というのが一般的な感覚でしょう。


若い二世たちが葛藤していたのも「セックスができないこと」などではなく、「交際ができないこと(!!)」でした。また、(自分だけ)「彼氏・彼女がいないこと」であり、周りの“恋バナ”に取り残されてしまうことでした。


かつて、ある二世が言いました。「異性と付き合うな、って二世部は体育会系の部活っスか? 男女付き合いだって、してみたほうが愛も成長すると思うんスけど。」


ある意味、これは正論でしょう。「愛の成長」には、確かに異性間の交流が不可欠だからです。


この辺り、実は親たちの側にこそ、ある種の“誤解”がありました。「異性交際をしない」というのは「異性と一切関わらない」という話ではありません(!!)


実際、「異性とは口を利くな、視線も合わせるな」では、人格形成に支障をきたしますし、将来、夫婦愛を育む上でも弊害となってしまうでしょう。(過去、確かにこうした極端な指導をする親たちもいました…。汗)


原理では、愛の成長過程として、「子女の愛」「兄弟姉妹の愛」(=友愛)を経て、初めて「夫婦の愛」(=本来の男女愛)「父母の愛」へ至ると説明していますが、夫婦愛の土台として育むべき兄弟愛には「異性の兄妹愛」も含まれるのです。


では、どこまでが「兄妹愛(友愛)」(=成長期に育むべき)で、どこからが「男女愛」(=成長期は控えるべき)になるのでしょうか。分かり易く言うなら、違いは「開かれた関係」か「閉ざされた関係」かにあります。


男女の愛とは「一対一の愛」であって、良くも悪くも、互いを“独占”することを欲し、「閉ざされた関係」を求めるでしょう。胎内の卵子がたった一つの精子だけを受け入れ、他をシャットアウトするのと同じです。


そのため、開かれた友人関係の中に恋愛感情―言わば未成熟な男女愛―が芽生えた場合、その“排他的”な感情が友人関係を壊し、グループを引き裂いてしまう場合もあるでしょう。


また、「未成熟な愛」(自分本位な愛)で結ばれた男女自身、いずれその「閉ざされた関係」に閉塞感を覚え始めるに違いありません。未成熟な愛情は、どこかで要求と束縛に変わるからです。


閉ざされた関係で長続きし得るのは、二人をつなぐ愛が「成熟した愛」(利他的な愛)である場合に限られるでしょう。


要するに―。成長期にあって、私たちが推奨したいのは「愛を一人に向けること」(=異性交際)ではありません。「愛の器を広げること」(=豊かな交友関係)です。


実際、彼氏・彼女を複数作ってきた人よりも、誰とでも(同性・異性を問わず)親しい交友関係を築いてきた人のほうが、より安定した人格を備え得るのではないでしょうか?


成長期の二世たちに必要となる指導は、「恋愛するな」「交際するな」ではありません。異性を異性として意識する代わりに、一人の人として、友人として、兄弟姉妹として対そう、というものです。


ある意味、二世同士の異性関係が心地良かったのは、互いを男女である前に「兄弟姉妹」として見つめ、仮に淡い恋心を抱いたとしても、その思いを大事に胸の内にしまい、自分本位な関係を求めようとしない―そのことで変わらない関係でいられる―、そんな信頼感・安心感があったからだと思うのです。

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