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統一教会二世の恋愛と結婚 ~【前編】2

恋愛禁止(?)の理由 ー 恋愛したら地獄に落ちる!?


今やネットで「統一教会 恋愛」と検索するだけで、多くの記事が並ぶようになりました。


「統一教会2世、自由恋愛は最大の禁忌...」(日テレニュース)
「旧統一教会・宗教2世、恋愛したら地獄に...」(NHK政治マガジン)
「今でもトラウマに、旧統一教会の恋愛に関する教え...」(ABEMA TIMES)


「なぜ恋愛しちゃいけないの?」という質問に、親から「地獄に落ちるからよ」と言われた―。こうした話は、私自身、二世たちから何度か聞かされました。(汗)


無論、親たちから言わせれば、「もう少し丁寧な説明をしたはず…」となるのですが、彼らが求めていた回答ではなかったのでしょう。


「ダメとしか言われなかった」「ちゃんとした説明が欲しかった」「せめて質問させて欲しかった」…、それが二世たちの声でした。


愛と性に関して親に相談できなかったことから、長年、異性に恋心を抱いただけで罪意識を覚えていた、という二世もいれば、性欲に駆られる自分がおかしいんじゃないか…と自己嫌悪に陥っていた男子たちもいました。


結論から言えば、教会の教義にあたる「統一原理」(以下、原理)の教えは、「異性に惹かれること」「性欲を覚えること」をタブー視などしていません。逆に、男女が惹かれ合うのは、“神”がそう創られたからであって、男女は一つに結ばれて初めて「神の似姿」になる、というのが原理の教えです。


言わば、男女を一つに固く結びつける、天が与えた貴い性稟が「愛」であり「性」であって、むしろ男女の結合こそ天国(理想世界)の出発点だと、そう教えているのです。


では、なぜその男女の愛(恋愛やセックス)に対して警鐘を鳴らすのか―。それは、その愛が「天国の出発点」であると同時に、「罪の出発点」となったと見ているからなのです。


聖書は罪の起源を人類始祖アダム・イブの物語(失楽園)として記していますが、神が園の中央に置かれた禁断の果実―、「取って食べたら死ぬだろう」と言われたのにもかかわらず彼らが欲した魅惑的な果実とは、即ち「男女の愛」だった!!というのが原理の解釈です。


実際、人が渇望し憧れを抱く、最も美しいものが男女の愛に違いありません。しかし同時に、最も自分本位で利己的になり得るもの―それを得たいためが人を蹴落とし、周囲を不幸にし、相手まで束縛しかねないものがまた男女の愛なのではないでしょうか?


言い換えれば、男女の愛とは「諸刃の剣」であって、成熟すれば、互いを幸福にする愛(=甘い果実)にもなり得ますが、未熟な状態で“取って食べた”なら人生を殺めてしまうほど脆く、危険なものだという訳です。


したがって、「愛の未成熟期(成長期)においては男女間の愛と性に手を出さない」というのが、原理に基づく本来の教えでした。


※「恋愛禁止」と言うと、異性に対する自然な情緒まで否定してしまうニュアンスとなるため、私はそうした表現を用いたことがありませんでした。未成熟期の「異性交際」を慎み、「婚前交渉」(性交)をしないというのが、より正確な表現かと思います。

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