統一教会と二世コミュニティ ~ 【前編】1
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教会が好きな二世・嫌いな二世
「宗教二世」という言葉は、親の信仰ゆえに経験してきた二世たちの苦悩を—長らく度外視されてきた彼らの困難や痛みを—世の中に広く知らしめる重要なキーワードとなりました。
しかしその一方で、「宗教二世」という言葉で括られることに“抵抗”を覚えた二世たちも多かったに違いありません。
それは、宗教二世という言葉が「二世=被害者」という含みをもって用いられてきたからでしょう。
統一教会のみならず、あらゆる宗教を信じる親のもとには二世たちがいます。そしてそこには、二世であるが故の苦悩と同時に、二世であるが故の気概や誇りといったものもあったに違いありません。
また、二世であるが故に与えられたものの中には、二世同士の絆や連帯感といったものも挙げられるでしょう。
私が知り得るのは統一教会のケースのみですが、二世同士のつながりはとても強いものがありました。それがまた、二世であることの誇りや、現状の困難を克服していく力を与えてくれたのです
私たちは互いのことを「兄弟姉妹」と呼び、時には、実の家族以上に強い連帯感をもつこともありました。
「二世コミュニティ」とは、二世たちにとって、ありのままの自分をさらけ出すことのできる安全地帯であり、「居場所」だったのです。
教会の解体を切望する二世たちがいる一方で、教会をなくさないで欲しいと願う二世たちがいるのは、彼らにとっての教会というのが「教団」(教会組織)などではなく、「二世コミュニティ」だからです。
私は何も、ポジティブな二世たちの声をもって教団の課題を正当化したり、もう一方の二世たちの被害が看過されていいなどとは思っていません。
ただ、相異なる思いをもつ二世たちがいることを認識し、彼ら双方の思いや見つめ方を理解した上で、教団の課題と向き合う必要があると思うのです。
今回は、統一教会における二世コミュニティの発祥と経緯を辿りながら、「教会が好きな二世と嫌いな二世がいるのは何故なのか」といった点について述べてみたいと思います。
二世局の発足 — 二世によって始まった二世教育
統一教会(日本教会)の二世教育は、他の宗教団体と比べても、一風変わった経緯を辿っていたように思います。
草創期(70年代)—。親たちが教会活動に専念していたとはいえ、信徒の家庭同士が家族同然の関係を築いていたため、そのつながりが二世にとっての保護圏となっていました。当時は「教会=家族共同体」だったのです。
それが80年代、教会の組織化が進むことで共同体意識は次第に薄れ、90年代初頭、「還故郷」(実家のある故郷に帰省)という新たな方針のもと、各々が「氏族伝道」を目指して全国に散らばって行ったことで、信徒の孤立化が進んだと言われています。
※「還故郷」摂理は、教会組織中心の体制(統一教会体制)から、本来の家庭中心体制(家庭連合体制)への移行を意図するものだったが、献金活動の推進に伴い、90年代、教会の組織化(中央集権化)はさらに促進されていった。
経済主導体制のもと、教会に二世の居場所はなく、子女教育(二世教育)に取り組もうにも、教会の理解や支援を得られない、そんな状況が続いていたと言います。
そんな中、本部に「二世局」という部署が立てられたのは94年のことでした。これは、日本二世の第一期生(=日本で最初に生まれた年代の二世)の先輩方が中心となって教会本部に交渉し、立ち上げたものです。
「二世は二世が責任をもつ!」「兄姉として弟妹たちを守ろう!」というのが当時の先輩たちの熱い思いでした。(この発足メンバーの中心的存在が梶栗正義氏でした)
言わば、「教会」が二世教育を立ち上げたのではなく、「二世」が二世教育を立ち上げたのです。