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知ってる?? 知らない?? 文顕進会長の文書動画と講話文

統一教会と二世コミュニティ ~ 【前編】3

二世教育の展望 ― 新たな改革運動の始まり

98年、私が二世局での公務に携わり始めた当時、二世教育に対する教会の理解は非常に乏しい状況でした。


私たちは全国の二世部長の方々と共に、周囲に理解があるないにかかわらず、自分たちのしていることがこの運動の「未来」を作るのだという自負心を抱き、互いに支え合い、励まし合いながら教育に当たりました。


二世の礼拝場所を確保することから交渉しなければならない教区もありました。本部から現場の責任者を訪ね、理解とサポートをお願いしなければならないケースもありました。


しかし、二世教育が現場の「摂理」(主に献金や伝道)に即プラスになるのか否か―、それが当時の教会の観点であって、心情教育(愛と人格の教育)や一家族文化の育成といった、当時私たちが抱いていた理想などは(=それが原理の教えや初期教会の中に見た理想でしたが)「絵空事」のようにしか受け止めてもらえないのが現状でした。


こうした空気が一変するのは2000年からです。当時、文総裁の後継と目されていた三男の顯進(ヒョンジン)氏が教会内の問題点(特に韓国指導部の文化と日本の献金問題)を深刻に捉え、改革に着手されたのが切っ掛けとなりました。


現状の組織改革(指導層の変革)こそ、激しい抵抗に遭って頓挫しますが、二世・青年圏を中心とする「未来の統一運動作り」が本格化して行ったのです。



顯進氏の観点を簡単に言うなら、統一運動は一教団の教勢拡大や利益のための運動ではなく、神のもとの一家族世界実現に向けた普遍的な霊性運動、家庭運動、平和運動であって、二世教育について言うなら、それは「教会の指示に従う二世作り」などではなく、「神の理想実現に生きるオーナー(主人)を作る」というものです。


当時、そのビジョンは教育者のみならず、二世圏や若い指導者たちを奮い立たせ、「教会改革」に向かわせる流れを作りました。教会の公務に二世たちが携わるようになったのは、正にここからだったのです。


こうした改革の中心だった顯進氏がなぜ「分派」として追われるようなったのか―。その背景は別の機会に触れますが、当時の改革の流れが、今に至るまでの二世圏の流れを作ってきたのです。


即ち、献金摂理をはじめ、既存の組織体制を維持しようとする教団指導部と、教会を改革しようとしていた若い二世リーダーたちの意識や観点は、決して同じではありませんでした。教団と二世の現状を理解する上で、この点、参考にしていただければと思います。



※無論、冷静に見るなら、トップダウンの組織である以上、韓国指導部の在り方(=統一運動のビジョンから離れ、自教団の維持・拡大ばかりを追求)が変わらない限り、また、日本がそこに追従し続けてしまう限り、内部改革は困難であろうと思われる。

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