自民党と教団との癒着?
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教団の問題が浮上してきて以来、ここ半年間にわたって自民党の責任が問われてきました。要は、教団の問題を看過、擁護、或いは隠蔽してきたという疑惑ゆえでしょう。
しかし、どの宗教、どの団体だろうと、依頼されれば講演に応じ、祝電を送るのは、ある意味、政治家としては自然な行為であって、冒頭で述べたように、教団と“接点をもっただけ”で断罪するのは明らかに行き過ぎでしょう。
無論、祝辞の送り先や応援団体の背景や素性の精査を怠ったとの指摘は免れないのかもしれませんが、実際、今回の騒動が起こるまで、「教団の問題がこれほどまでとは思ってなかった」というケースが大半なのではないでしょうか?
本当に教団内部の問題を分かっていてこれを容認し、擁護し、隠蔽してきた政治家がいたとすれば、それは厳重に処罰されるべきだと思います。しかし、教団の中にいた立場ですら、分かっていなかった問題があった程です。外部の政治家がどれほど把握できていたでしょうか?
しかも、議員がそもそも接点を持っていたのは教団本体ではなく、その「関連団体」でした。多くの場合、議員の方々が信頼し、賛意を示していたのは(教団ではなく)「勝共連合」でしょう。
はっきり言って、今の教団と勝共連合は“別物”です。
報道を見ると、「勝共は教団の隠れ蓑であって、その本質は“反日団体”だ」といった指摘がありますが、仮に勝共連合が「反日団体」だったなら、たとえ票が欲しいからと言って、自民党という保守政党が本当に友好関係を結んでいたでしょうか? それは、普通に考えて、理解し難い話でしかありません。
以前の記事で触れたように、統一運動は元来、「愛国運動」でした。
統一運動を反日団体だとする根拠として、教団の教えにある「韓国はアダム国家、日本はエバ国家」(=聖書に登場する人類始祖の意)ということを挙げ、これが「日本=韓国に従属する国」を意味する、とする指摘があります。
しかし、これは極めて恣意的な解釈であって、日韓は共にアジアの平和を担うべき基軸であって「運命共同体」である、というのがその本質的な意味です。これに米国を加え、日韓米の結束を固め、ソ連(ロシア)・中国・北朝鮮の共産化から世界を守る、というのが設立当初からの勝共連合の観点でした。
したがって、統一運動は「親韓」ではあっても、「反日」ではありません。
自虐史観をベースに日本の罪を強調したのは2000年代の「清平(チョンピョン)修練苑」であり、こうした内容が、日本教会における現場の献金摂理の推進に利用されてきたことは否めない事実です。が、少なくとも、この流れは勝共連合とは相容れないものでした。
いえ、もっとはっきり言うなら、勝共関係者をはじめ、教団内でも、本来の統一運動の視点から、清平が強調する「反日的」な指導には、長らく、反対・反発の声があったことも事実です。