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知ってる?? 知らない?? 文顕進会長の文書動画と講話文

豪華な教団施設の建設 ― 信徒の犠牲は何のため?

https://sakurai.blog/archives/236


日本教会の献金問題は、国内だけで解決し得る問題ではありませんでした。世界のあらゆる運営資金を日本教会に依存しようとうする、教会全体の構造問題があったからです。


2000年代初頭、こうした体制を是正しようとしていたのが、当時、次世代の後継者と目されていた三男・顯進(ヒョンジン)氏でした。


顯進氏の考える平和運動とは、信徒から絞り出す献金によって維持されるべきものではありませんでした。統一運動とは「ために生きる運動」であって、それが教団の利益を越え、本当に公益に適う運動になるなら、そのビジョンに賛同し支援する人々が現れる―というのが顯進氏の発想でした。


詳細は割愛しますが、既存の教団体制を廃し、各家庭が主体となって取り組む、宗派を越えた運動づくりを目指していた顯進氏が、韓国指導部によって“反乱分子”に追いやられ、組織から排除されていったのは、奇しくも、2009年のことでした。


それ以降、韓国指導部は改めて「組織化・教団化」の一途を辿ります。顯進氏を退けた指導部、並びに七男・亨進(ヒョンジン:日本語の発音は“顯進”と同じ)氏は、再度、「家庭連合」に代わって「統一教」という看板を掲げ(09年7月)、「教祖の絶対化」を進めていきました。


その方向性は、韓鶴子(ハン・ハクジャ)総裁が全権を掌握するようになっても(12年9月)変わらず、さらに加速されていったように思います。


教祖(韓総裁)の権威を高めるための理論が構築され、教団の権勢を誇るような豪華施設が次々と立てられ、あらゆる大会・集会の演出が高価で豪勢なものに変わっていきました。


かつて、イエス・キリストはこう言いました。「あなたがたは何を見に荒野に出てきたのか? 風に揺らぐ葦であるか?…柔らかい着物をまとった人か? きらびやかに着かざって、ぜいたくに暮している人々なら宮殿にいる。では、何を見に出てきたのか?」


信徒たちが信仰の道に入った理由は、こうした教団の栄華のためではありませんでした。魂の救いを求め、家族の幸せを求め、豊かな国作りと世界を願って、苦労を苦労と思わずに歩んできたと思うのです。


二世たちが親の信仰ゆえに、生活苦を余儀なくされてきたのは今に始まったことではありません。しかし、かつてそこには「神の国と義のため」という理想や誇りがありました。複雑な思いを抱いてきた二世たちが、後に統一運動の精神を知り、歴史を知り、親の歩みと志を知って、自分たちの“犠牲の意味”を見出し、留飲を下げることもありました。


しかし今、信徒たちの犠牲、二世たちの犠牲は、「何のため」なのでしょうか?


 
日本教会の献金問題は、国内だけで解決し得る問題ではありませんでした。世界のあらゆる運営資金を日本教会に依存しようとうする、教会全体の構造問題があったからです。


2000年代初頭、こうした体制を是正しようとしていたのが、当時、次世代の後継者と目されていた三男・顯進(ヒョンジン)氏でした。


顯進氏の考える平和運動とは、信徒から絞り出す献金によって維持されるべきものではありませんでした。統一運動とは「ために生きる運動」であって、それが教団の利益を越え、本当に公益に適う運動になるなら、そのビジョンに賛同し支援する人々が現れる―というのが顯進氏の発想でした。


詳細は割愛しますが、既存の教団体制を廃し、各家庭が主体となって取り組む、宗派を越えた運動づくりを目指していた顯進氏が、韓国指導部によって“反乱分子”に追いやられ、組織から排除されていったのは、奇しくも、2009年のことでした。


それ以降、韓国指導部は改めて「組織化・教団化」の一途を辿ります。顯進氏を退けた指導部、並びに七男・亨進(ヒョンジン:日本語の発音は“顯進”と同じ)氏は、再度、「家庭連合」に代わって「統一教」という看板を掲げ(09年7月)、「教祖の絶対化」を進めていきました。


その方向性は、韓鶴子(ハン・ハクジャ)総裁が全権を掌握するようになっても(12年9月)変わらず、さらに加速されていったように思います。


教祖(韓総裁)の権威を高めるための理論が構築され、教団の権勢を誇るような豪華施設が次々と立てられ、あらゆる大会・集会の演出が高価で豪勢なものに変わっていきました。


かつて、イエス・キリストはこう言いました。「あなたがたは何を見に荒野に出てきたのか? 風に揺らぐ葦であるか?…柔らかい着物をまとった人か? きらびやかに着かざって、ぜいたくに暮している人々なら宮殿にいる。では、何を見に出てきたのか?」


信徒たちが信仰の道に入った理由は、こうした教団の栄華のためではありませんでした。魂の救いを求め、家族の幸せを求め、豊かな国作りと世界を願って、苦労を苦労と思わずに歩んできたと思うのです。


二世たちが親の信仰ゆえに、生活苦を余儀なくされてきたのは今に始まったことではありません。しかし、かつてそこには「神の国と義のため」という理想や誇りがありました。複雑な思いを抱いてきた二世たちが、後に統一運動の精神を知り、歴史を知り、親の歩みと志を知って、自分たちの“犠牲の意味”を見出し、留飲を下げることもありました。


しかし今、信徒たちの犠牲、二世たちの犠牲は、「何のため」なのでしょうか?

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