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知ってる?? 知らない?? 文顕進会長の文書動画と講話文

現場教会のジレンマ ― 牧会者の苦悩

https://sakurai.blog/archives/236


2013年1月、新たな総会長が赴任して来られました。私がちょうど献金の案件に関する切実な嘆願書を上申していた時のことです。


この時、一部署の訴えを真摯に受け止め、本部方針を転換してくださったのが、この新任の総会長でした。この方は、日本教会の課題や事情を本気で受け止めようとした、最初の総会長だったように思います。


その後、私は総会長によく呼ばれるようになり、「あなたが見た現場の状況や二世たちの声を聞かせてほしい」と言われました。最初の頃、私は総会長に次のような話をしたことがあります。


本来、家庭連合の基盤は「家庭教育」であるべきで、豊かな家庭が作れる団体になって初めて“伝道”がなされ、そこから“経済”も付いて来るはず。でも、現体制は真逆で、“経済(献金)”が全てに優先されて重くのしかかり、経済のために人を“伝道”し、その伝道のためのツールとして“家庭教育”を考えるという状況。この構造そのものを逆転させないと、現状は変わり得ないと思うのだ―ということを説明しました。



総会長に説明した際の資料(日本語訳)
総会長は深く頷かれ、その後、私は定期的に局長会議に入るように言われました。


総会長は本部でも現場でも、常に本質的な話をされ、殊に家庭教育を強調されました。


また、2016年2月には、「総合企画局」というシンクタンクが新設され、全国の献金体制や牧会者の評価体制の改善にも着手していくこととなります。(この時の人事部長として起用されたのが勅使河原氏です)


しかし、献金目標の追求、実績追求そのものがなくなることはありませんでした。それは、日本を越えた世界(韓国本部)から求められる事案であったからです。


当時、「本質的なことを求めるなら、まず献金摂理を何とかしてくれ」というのが現場の牧会者(教区長・教会長)の本音でした。「家庭教育が強調される一方で、献金も求められる。これじゃあ、アクセルとブレーキを同時に踏まれているようなものだ」と。


献金摂理で汲々としている牧会者の中には、「自らの牙城を荒らしてくれるな」と言わんばかり、家庭教育を露骨に拒む方々もいました。


しかし一方で、「家庭教育の話は痛いほど分かる。私も家に戻れば一人の父親なのだから…」と言われる方もいれば、「私は献金の使命で走り続けるしかない。だが、是非、教区内の信徒たちの家庭教育を助けてやってほしい…」と、切々と語られる方もおられました。


私はほぼ毎週末、全国の現場を周り続けました。そこには感動的な証や学びもありましたが、それ以上に、現場の痛みや苦悩を感じざるを得ませんでした。

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