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知ってる?? 知らない?? 文顕進会長の文書動画と講話文

養子縁組の始まり ― 三位基台と家族文化

https://sakurai.blog/archives/216


そもそも養子縁組はどこからなぜ始まったのか―。その考え方そのものは初期からあったといいます。


古き良き時代の教会には、互いを「家族」だとする文化が存在していました。教会では互いのことを「食口」(シック)と呼び合っていましたが、これは韓国語で「家族」を意味します。


初期の頃、親たちが伝道活動等で忙しく、家を留守にするようなことがあると、教会のお兄さん、お姉さんが親代わりとなって相手をしてくれることもあれば、隣の家庭の親同士で子育てを助け合うようなところもありました。


「我が子」という意識を越え、二世たちを皆等しく、「天から授かった子ども」として、皆で共に育んでいこうという文化があったのです。


また、特に「三位基台」(さんみ・きだい)といって、祝福を受けた折、「家族・親族のように助け合う立場」として、3家庭ずつ1組に結ばれ、仮に親が病気になったなら、代わりに子どもたちの面倒を見てあげたり、海外宣教などで長期間、家を留守にしてしまう家庭があったなら、残り2家庭でケアをする、といった意識をもっていたと聞いています。


いつからかこうした伝統も風化していき、昔ほどの強いつながりではなくなったと思いますが、過去、こうした三位基台の中で、「我が家に子がいないとしても、隣の子を我が子のように愛そう」という意識や、「子どもに恵まれない家庭があったら、養子にあげて共に育てよう」という文化が育まれていったといいます。


最初こそ、文総裁の指導によるものだったといいますが、それが「美しい伝統」として自然に感じられるような家族文化が、そこにあったと思うのです。

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