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清平摂理 ― 先祖解怨の始まり

https://sakurai.blog/archives/192


前回の記事で著した通り、清平摂理が始まったのは95年。当初の趣旨は、「自己の罪の清算」(そのための悪霊分立)でした。


それが99年に入ると、新たに「先祖解怨」というものが始まっていきます。これは「先祖の罪や怨恨」を清算し解消する、というものでした。


キリスト教の背景をもつ信徒や、教会学校で育った二世たちからすると、「なぜいきなり先祖解怨?」という感覚でしたが、天地正教を通して入信した人々にとっては、極めて自然なことであったに違いありません。


太鼓の音頭に合わせ、歌を歌いながら、手の平で自らの体を叩くという「役事」(やくじ)の在り方(※)は清平から始まりますが、「祈願書」「聖火式」等は天地正教に由来するものとも言われています。


※「按手」(あんしゅ)と呼ばれる役事の方法は、「巫俗」(ふぞく:韓国のシャーマニズム)における治病行為の風習に由来するようです。


仏教式であれ、儒教式であれ、その他の土着信仰に基づく慣習であれ、聖別された地において、先祖を想い、その罪の清算と解怨のために必死になって祈ることは大切なことであるに違いありません。また、先祖供養のために、自らの真心や誠意を示す献金・お布施を神仏に捧げることもまた、貴い宗教行為なのだと思います。


しかし、2000年代、あたかも信仰生活の中心のようにして全日本教会に広がった先祖解怨の在り方は、宗教行為の度を越えていました。どこまで行くのか、いつまで続くのか―。途中からは、もはやセオリーすら破綻していたように思うのです。

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