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知ってる?? 知らない?? 文顕進会長の文書動画と講話文

清平摂理と先祖解怨(00年代)~


献金によって先祖が救われるのか?


なぜ先祖解怨なのか?
取材の中で「先祖解怨」についても何度か質問を受けました。「旧・統一教会はキリスト教にルーツをもつと自称していますが、キリスト教と先祖供養…、どうもつながらないんですよね」


確かに、キリスト教において、崇拝・礼拝の対象は「神様」であって、それこそ、キリスト教が伝来された当時、これが日本古来の「先祖崇拝」(祖霊信仰:亡くなった先祖を祀る)と相容れないことが迫害の要因にもなりました。


「汝の父母を敬え」という根本的教えはあるのもの、それでも「神」に祈るのがキリスト教であって、「先祖」の位牌の前で手を合わせるのは仏教のほうでしょう。


実際、「先祖解怨」という言葉や概念は、「原理」(旧・統一教会の経典)には一言も出てきません。


そのため、報道の中には、「先祖解怨」そのものが、日本で高額献金をさせるために編み出されたのだ、といった言説も見られましたが、それは「違う」と思います。


そもそも、仏教で位牌に手を合わせるのも、本来の仏教にはなかった慣習でした。仏教は「輪廻転生」を教えるのであって、死者の魂が地上に留まる訳ではないからです。その慣習は、仏教が日本に伝来する過程で、古来の祖霊信仰が自然に溶け込み、形成されたものだといいます。


統一教会、特に日本教会における先祖解怨(先祖供養)も然り、先祖を大切にする日本人固有の文化が溶け込んで育まれたものと言えます。また、旧・統一教会における伝統や儀礼は「韓国文化」の中で生まれたものが殆どでした。先祖を敬い、祀る文化は、儒教に根差した韓国教会が当初から持っていた文化でもありました。


したがって、「先祖解怨」(先祖供養)そのものは、先祖を敬う韓日の伝統に根ざした美しい文化として始まった―、私はそう思っています。ただ、それが2000年代、実績史上主義の献金文化の中で、ここで述べるような際限のない「献金手法」へと転化し、そこに組み込まれて行ってしまったと思うのです。

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