kyakya2828のブログ

知ってる?? 知らない?? 文顕進会長の文書動画と講話文

目的は手段を正当化できない

櫻井正上氏のblog
https://sakurai.blog/archives/120


目的は手段を正当化できない
霊感商法とは、どこまでも「日本教会」(事業部)による産物であって、本来の教えから生まれてきたものではありませんでした。


当時、霊感商法を、それでも「神の摂理のため」と思って歩んだ信徒の、諸先輩方の名誉のために補足するなら、当時の彼らの思いはそれでも、「国と世界のため」にあったといいます。朝から晩まで東奔西走しながら、家計が厳しくとも、霊感商法で得た公金には、一銭たりとも手を付ける人はいなかったといいます。


しかし、どれほど高尚な目的であったとしても、手段を正当化することはできません。原理の本質は「真の愛」「ために生きること」であって、目の前の人を不幸にし、「霊的命」をも犠牲にして実現し得る「天国」などないと思うからです。


本当に国や世界、「公益」のためであるなら、その名目のもとに基金を募り、志のある方々に働きかけるのが正道であったに違いありません。無論、これは今だから言えることであって、冷戦時代、火急の事態にあって、そんな悠長なことは言っていられなかったと言われる先輩方もおられることでしょう。


当時の事情や背景を知らない私が、過去を全否定することなどできませんが、少なくとも、そうした「大きな目的のためには手段を問わない」といった発想は過去の時代、私たちの言う「蕩減復帰時代」(本然の時代以前)に置いてくるべき発想であるはずです。


さらに言えば、経済活動は「手段」であって、それ自体が「目的」ではありませんでした。霊感商法とは、手段が目的化した「経済至上主義」「実績史上主義」がもたらした弊害であったに違いありません。


80年代後半、大バッシングの中で、事業部が主導してきた霊感商法は終息していくこととなりますが、この「経済・実績至上主義」の悪しき風習は、90年代、過去最悪と言われる献金体制へと形を変えていきました。次回はその辺りをお伝えしたいと思います。

×

非ログインユーザーとして返信する