blogからの引用 10 共同声明より 一部のみ
顯進様はある集会で「放蕩息子であっても親が迎え入れるように、悔い改めて戻って来る者を私が受け入れないだろうか」と語りながら両手を広げると、次のように語られたという。
「彼らが私を捨てようと私は彼らを捨てない」
「彼らが私を忘れようと私は彼らを忘れない」
「彼らが私を不信しようが私は彼らを信じる」
相手を疑いながら愛することはできない。絶対的に信じてこそ絶対的に愛することができるのである。
しかし祝福家庭はいとも簡単に顯進様を不信した。
顯進様を信じようとせず、捨て、忘れたということは、アベルを愛する真の愛の基準を祝福家庭が失ったことを意味する。
しかし顯進様はそのような祝福家庭を信じ、祈って来られた。
顯進様は真の愛の基準を守られたのである。