み言 6
一世は原理講論を原理、真理のすべてとして見ています。そうではありません。
原理講論はキリスト教の読者が原理の内容に基づいて、キリスト教の信仰を解体するよう意図されたものでした。
あなたが実際に原理が何であるかを理解したいというのであれば、それは第1章の創造原理ですが、原理講論の中で一番肉付けされていない章です。
分子レベルであろうと、男性と女性、夫と妻の間の男女の役割であろうと、存在の根本的な現実として、二性性相であることに焦点を合わせています。それが主な焦点になっています。
あなたの人生を支配すべき原理に対して詳しく論じられていません。
UCの文化は蕩減復帰と条件を立てることに焦点を合わせていたため、霊的生活をし、条件を立てることが霊的意識を成長させる原則であると考えました。そうではありません。
神の摂理の全体的な目的は、神が創造の前に確立した神の原理の基礎である原則と価値が、私たちの生活と家庭の中で顕れるように、神中心の家庭を築くことなのです。